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2017年、東日本大震災から6年。揺れを直に経験した私が、思ったことを書く。

   

2017年3月11日2時46分。

最大震度7、津波、原発事故を巻き起こした通称・東日本大震災から6年が経過しました。

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歴史的大災害から早くも6年がたった

当時私は高校卒業してすぐでした。

人生の次のステージに進む中間の段階で起こったこの大災害は、私の人生の中で一番大きな出来事だったと言えるでしょう。

いや、誰にとっても、第二次大戦以来の国難だったとも言えるのではないでしょうか。

震源近隣地域にいた私

私の住んでいた地域は震源に近く、震度6強と人生で一番大きい揺れを経験。

それも長くいつまでも揺れ、感覚では永遠とも感じました。

そのときは近く起こるとされていた宮城県沖地震かとも思いましたが、各インフラが停止してしまったため情報を得る手段がありません。

携帯電話もあったんですがすぐに充電が切れてしまい、停電もしていたため、そのときだけは完全に情報弱者になりました。

数日後、新聞が来て、津波による被害や原発事故の現実を目の当たりにすることになります。

津波 福島第一原発事故

ただの地震ではなかったのだと知った瞬間です。

私の地域ではインフラのストップと家具家電の破損以外大きな被害は出ませんでしたので、ほかの地域があんなことになっているなんて思わなかったんですよね。

電気もガスも水道も、全てのインフラがストップしている中、なんだかキャンプをしているような感じがして楽しくも感じていたんですよ。

でもすぐ近くで亡くなったり泣いていたりしていた人がいたんです。

記憶は薄れていく、それでも記録は残る

あのときは恐怖して世界の終わりだとも感じた揺れも、もう昔話でその記憶は薄れていきます。

第二次大戦を語り継ぐ人がいるように、私たちに世代はこの震災のことを語り継いでいくことが大切なんですよね。

本当の戦争の恐怖を知っている世代がいなくなったとしても、映像や写真や物語が戦争の恐ろしさを語り継いでいくように、私たちの世代も何かしらの手段で津波の恐ろしさや原発の危険性を語り継ぐことをしなければならないんです。

大昔の津波を経験した過去に生きた人々は『此処より下に家を建てるな』という文字を掘った石碑を建ました。

そんな、時間による風化をしないものを私たちは残すべきなんです。

大津波記念碑

原発事故の影響はこれから出るのかもしれない

過去、福島第一原発事故以前の大きな原発事故はアメリカ合衆国の『スリーマイル島原発事故』と旧ソビエト連邦『チェルノブイリ原発事故』があります。

チェルノブイリ事故で被爆した旧ソビエト連邦・現北ウクライナでは、5年後以降が一番健康被害を訴える人が多いという結果になっています。

チェルノブイリ原発事故

2017年で福島第一原発事故から6年。健康被害が大きくなっていく時期です。

福島県では原発事故による子供たちの罹患率(観察対象の観察期間の疾病発症頻度)が何十倍にもなっているという学術論文も出ています。

原発事故はまだ収束していません。

震災の記憶が薄れる中、私たち日本人はそのことをもっと自覚するべきなんです。

恐怖を煽ることはあまり良いことだと思っていないんですが、現実問題として原発事故についてもっともっとフォーカスするべきだと思うんですよね。

これからの日本の未来のためにも日本の総力を注力してなにかしらの大規模で画期的な策を弄するべきなんです。

東京電力は今も原発を推し進め、安倍政権はそんな危険な原発を各国に推進んしています。あんな事故があってなお、そんなことをしているなんて私には考えられないことです。

国民の健康被害が顕著になったら、原発を売った国で事故が起こったら、日本国政府と東京電力はどうやって責任をとるのでしょうか?

震災以降の日本

震災の以前と以後では日本のあり方自体が変わったようにも感じます。

震災をはさみ政権交代をし、人々の中では脱原発世論は活性化し、助け合うということの大切さを人々は世に示します。

しかし津波による行方不明者は未だ二千人以上見つからず、原発事故は未だ収束せず責任の所在が曖昧なまま、原発の健康被害は増え続けているのです。

これからどんな日本に変えていくのかは、今日本に生きる私たち次第だということを身にしみて感じています。

新聞テレビ欄縦読みで『東北がんばれ心つなげ』

東北がんばれ心つなげ

3月11日の新聞のテレビ欄の縦読みで『東北がんばれ心つなごう(つなげ)』という文字が浮かび上がります。

これは各新聞で実施され、各社少しの違いはあれで同じ内容の文字が描かれています。

震災から6年たてども完全に復興はできていないため、まだまだ頑張らなければならないんですよね。

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終わりに

震災当時の揺れや津波、原発事故の映像を見るとあの日のことを思い出します。

普段忘れていても、こうやってたまに思い出すことによってあの日に亡くなった人の供養や今現在も苦しんでいる人のためになることができると思っています。

以上、震災から6年目の記事でした。

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