東日本大震災で津波被害にあうはずだった私。生かされたのだろうか?
東日本大震災が起こってから7年目に入りました。
だいぶ昔のことのようにも思えるし、ついこの間のことのようにも思えます。
そんな震災の記憶の中で私には気になることがあります。
それは、あの日、私は本当は死んでいたのかもしれないということです。
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あの日、私は生きることを選んだ
この世界はいくつもの可能性世界が存在しており、自分が望んだ世界を観測者としての自分が経験するといった話がありますが、私はそんな中で、自分が生きる世界を無意識的に選び取ったのではないかと思っています。
世界なんか壊れてしまえばいいと思っていたあの頃
その当時私は健康面や精神面が荒れており、自暴自棄になっていました。
何もかもがどうでもよくなっていて、この世界なんか壊れてしまえばいいとすら思っていました。
どうせ何もかも終わるんだから全部適当でいいやと、その時期の大事な決め事も大して考えもせず投げやりに決めていたのです。
そして2011年3月11日。
世界の終わりは突如としてやってきました。
津波被害にあうかもしれなかった私
その日私は春休み中で、先日から今日はどこかに出かけようと画策していましたが、行く前にこたつでごろごろしていると「なんだかめんどくさくなってきたなぁ」と感じ、2時頃になると「もう今日は行かなくていいや」と諦めました。
その判断が功を奏したのです。
2時46分、最高震度7の大地震が起き『東日本大震災』を体験することになります。
数日後に初めて知ったのですが、沿岸部では大津波が発生し、一万人以上の犠牲者が出ていたのでした。
私は驚愕しました。
震災があったその日、私が行こうとしていたのはその沿岸部だったのです。
私は生かされたのだろうか?
私は世界が終わればいいと願っていたためあの地震が起こったとするのは拡大解釈だと思いますが、それでも私はその日出かけて津波被害にあって死んでいたという未来もあり得たのです。
私は生かされたのでしょうか?
自暴自棄になり何もかもどうでもよくなり、世界の終わりを望む(=死と同義)という願いがあった。
しかし、その裏側でまだ生きていたいという潜在的願いもまた存在していたのです。
今もいろいろあって大変なこともありますが、私は生きていて幸せです。
潜在意識が私を生かしたのなら、潜在意識が私を死なせた世界もあったのではないかと思っています。
死んでいたかもしれない別世界戦の自分の分まで生きる
パラレルワールドはいくつも無限に派生していきます。
死んでしまった私。
全く違う人生を歩んでいる私。
女として産まれた私。
産まれることすらなかった私。
その全てが意味ある人生であるならば、今ここにいる『私』という観測者をしっかり生きようと思いました。
『私』はここにしかおらず、多世界の私は『私』ではないのだから。
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終わりに
不思議なもので私の祖父も震災のちょっと前まで沿岸部にいたということを聞きました。
自分が観測したくない現実を跳ね除けて、私は今この世界を生きているのではないかと思っています。