『君の名は。』の考察記事っぽいものを書いてみる。その深すぎる物語は何度でも観に行きたくなりました
2017/12/11
『君の名は。』は2017年2月現在、未だに上映されていますね。
私は人気なのは重々承知で、だけどDVD出てからでいっかなーと思っていたところ、あまりの人気に上映期間が伸びに伸び2017年に突入。DVDはだいぶ先になるだろうと判断し、映画館で観ることに。
感想的にはこちらの記事で書きました。
なので今回は考察っぽものをしてみました。
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ネタバレ考察っぽいものをしてみる
さて、こんな深くて難しい話だとは思いませんでした。
だから一回だけじゃなく何回も観に行っている人がいるんでしょうね。
この見出しでは考察っぽいことをします(本格的にネタバレします。観てない人は飛ばしてください)。
『君の名は。』一回だけ観た人間の考察開始
彗星・ティアマトとは何か
『君の名は。』は彗星・ティアマトの落下シーンから始まります。
そもそもティアマトという彗星は存在せず、物語上だけの架空の彗星となっていますが、ティアマトというもの自体は、シュメール及びバビロニアの神話上に登場する女神の名前です。
ティアマトは神々と対立しており、神々から選ばれし戦士であるマルドゥックと戦います。ティアマトはたった一人で戦い、そして殺されてしまいました。ティアマトの死体は二つに分断され天地創造の材料として使われたのだそう。引き裂かれた二つの半身はそれぞれ天と地になりました。女神と言われているティアマトですが、神話上のティアマトは人の姿を模してはおらず、その姿は異形で世界創生の材料にできるほど巨大あったといいます。
そんなティアマトは『大洪水を起こす竜』とも形容されたそうです。
『君の名は。』の作中でティアマト彗星から分離した『半身』が地上に落下し、糸守湖の水が洪水を起こしました。
ティアマトによる神話の断片切り取り見事に物語に符合させていますね。
口噛み酒と半身
作中の神事で三葉が作った口噛み酒。
作り方は簡単。米をモグモグして容器に吐き出し、それを時間をかけて発酵させるだけ。
口噛み酒とは古代日本やアイヌ、沖縄などで作られていた神聖な酒なのです。
日本や台湾では実際に神事の際に作られていたそうで、口噛み酒を作る人間には巫女や処女が選ばれていたそうです。
さて、物語の終盤で三葉に会いたい一心で口噛み酒を飲んで最後の入れ替わりが起こったわけですが、最初見たときは「?」って感じでした。でもいろんな考察記事を見てだんだんわかってきました。
三葉(中身は瀧)が御神体のもとに口噛み酒を置いてきましたが、御神体に行くためには三途の川を渡らければなりません。三途の川を渡った先はあの世。つまり半身である口噛み酒をあの世に置いてきたというわけなんですね。
そして瀧は糸守町まで行き、口噛み酒を飲みます。するとトリップし三葉や宮水家の歴史が走馬灯のように垣間見え、入れ替わりが起こりました。
口噛み酒(半身)はムスビであり、身体に入ったものは魂とムスビつくということを一葉おばあちゃんは言っていたこともあって
つまり
……どういうことだ?
じゃなくて、
口噛み酒が瀧と三葉の魂を繋いだんだ!!それ以外には何もない!!(わかったら追記します)
しかし瀧くんよく抵抗もなく口噛み酒飲んだなぁ……凄いなぁ……。
だってあれゲフンゲフン。
組紐
作中で三葉が髪を結ぶのにも使っているのが組紐。
一葉おばあちゃん曰く
「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ」
とのこと。
つまり組紐=時間=ムスビであり、組紐自体が世界線のことを模しているというわけです。
時間と時間が寄り集まって世界線を成す。
二人で一つの組紐を共有したことも重要な伏線となっているのでしょうね。
なぜ二人は時差があることに気づかなかったのか
瀧と三葉との間には三年という時差があります。
普通に生活していれば気づいていてもおかしくないし、スマホの日記で情報をやりとりしていたんだからなおさらです。
しかし劇中ではそんな素振りは見せていませんでした。
これには諸説ありますが、見て見ぬふりをしていたか、気づいていたけどそれを認めたくない深層心理やそんなことは有り得ないという感情が働いたからなんじゃないでしょうか。
瀧が三葉はすでに死んでいるということを知ったとき、その時差があることも思い知らされていたところを見ると、やはり気づいていても無意識的に知らんぷりしていたということなんじゃないですかね。
黄昏時
作中の序盤で『黄昏時』について、『言の葉の庭』にも出ていたユキちゃん先生が教鞭をとっています。
『黄昏時』は元は『誰そ彼』と書き、『かれたそ時』や『かはたれ時』と言ったそうです。
『万葉集』にある作者未詳の作品にある詩に
『誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ』
というものがあり、これがこの作品の原点とも言うべき作品になっているんですよね。
現代語訳にしてみると
誰だあれはと
私のことを聞かないでください
九月の露に濡れながら
愛しい人を待っている私を
という意味になっています。
三葉の心情そのものであると言えますね。
作中序盤、三葉がまだ入れ替わりに気がついていないときに自分のノートに書かれていた文字
『お前は誰だ?』
がそのまま
『誰だあれは(誰そ彼)』
に符合されているというところが重要です。
わからないこと、矛盾してそうなことが多い
やっぱり一度観ただけじゃ判断できないことが多すぎますな……。
だからって何度も観て完全にわかりきるなんてこともできないかもしれません。
矛盾していたり、解釈問題でしかないことも多いのです。
まあ考察サイトを見てみてもいろんな考え方があって、解釈が一つに決まっているわけでもないんですよね。
いちいち映画館行くの面倒くさいから早くBlu-ray発売しないかなぁ……。
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終わりに
いやあ、でもやっぱり『君の名は。』は良い映画だったなぁ……。
作画良し、ストーリー良し、音楽良し……完璧だな。
考察はこれからも続いていきそうな予感がする映画なので、すでに観た人ももう一回いや、何回でも観に行くことをすすめますよ。
観れば観るほど面白くなる映画です。
以上、『君の名は。』の考察っぽい記事でした。