他人の反対意見にムカつくという現象について。喧嘩と戦争の原因第一位《301移行》
2019/05/30
人はそれぞれ違う意見を持っています。
例えば自分と同じ遺伝子コードを持ったクローンを作ったとしても、それが産まれた段階から意見は別のものとなっていくはずです。
しかしながら、自分と真っ向から違う考えに出くわしたとき、なぜかムカついてしまいます。
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反対意見がムカつく!!って人
誰でも自分と違う意見を持っているのに、自分が何を言っても変えることはできないというのにそれを正そうと躍起になって言い返すことすらあります。
しかし、よくよく考えるとそんなことって傲慢ですよね。
だってそれ、相手の意見を認めていないってことなんですから。
いさかいの原因は意見の対立から
喧嘩でも宗教戦争でも原因は意見の対立からです。
「自分はこう思うけどあいいつはこう思っているからムカつく」なんて理由で始まる喧嘩がほとんどじゃないでしょうか。
みんなの意見を一緒にするなんて不可能だし、したくないですよね。
なぜ反対意見にムカついてしまうのか
しかしなぜ反対意見でムカついてしまうんでしょうね。
私は友達や姉弟の発言にムカついたときに、いったん落ち着いてなんでムカつくのかを考えるようにしています。
他人の意見を許容できない
他人の意見というものはどこまで行っても他人の意見です。
それがどんなに近しい人であろうと『自分の意見』じゃないかぎり完全に受け入れることは不可能です。
でも自分の意見が絶対的に正しいと思っているわけでもない
自分が「これが正しい!」と思っていることでも、誰かに執拗に諭されたり真っ向から否定され続けると自身があっても疑い始めてしまいます。
自分自身の意見が道徳的に正しくても、社会の風潮がそれを正しいと判断しない場合それは正しくないことにされてしまいます。
そもそも正しいとはなんなのか
立場が違えば正義は変わります。
それは今までの歴史が証明していますが、本当にそれだけなんでしょうか?
絶対的に正しい『正義』とは存在せず相対的に変わってしまうことこそが『正義』なんでしょうか?
世間一般ではそうとされていますが、私はそうとは思っていません。
立場だけで正義自体が変わってしまうのなら、立場上正義を執行したがそれは罪だったとき(戦争での敵兵殺傷など)に罪悪感なんて感じないはずですが、人はそうはなりませんから。
それを道徳心と言いますよね。
道徳こそが真の正義、正しいことだと思います。
おっと、話がそれましたね。
気分良く過ごすために反対意見は目にしない方がいいのか
人はなぜか悪いニュースの方の方が興味を惹かれます。
他人はどうであれ『自分にとって悪いニュース』とは誰にでもあるもので、自分はどう考えても悪いニュースだと思うことでも世間では連日良いニュースのように取り上げられたりしているとそれを観ることでストレスが溜まります。
気分良く過ごすためには自分に合わない『自分の反対意見のニュース』はあまり観ない方がいいのかもしれません。
ただ意見が違うだけということを念頭に生きる
不可抗力で自分が許容できない意見を前にしたとき、その意見を嫌々でも頭の中に入れなければならなくなります。
そんなときは『ただ意見が違うだけ』ということを思い出してください。
意見が違って当たり前だということを思い出してください。
相手の意見を無理に許容するのではなく「そんな意見もあるんだ、ふーん。自分の意見とは違うけど」と軽く流してください。
憎悪の対象になっていた人が自分とは関係のないただの他人に思えます。
自分がムカついていたことが大したことないことのように思えてくるはずです。
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終わりに
最近はテレビを観て「また嘘を報道しているよ……」とか感じてしまうひねた私ですが、最近は他人の意見を許容せずとも受け流すことはできるようになっています。
相手方の意見がありそれが自分の意見と相対するものならば、自分の意見だって相手にとっては反対意見です。
なんにしても受け入れられずとも『意見があることを許す』ことが必要なんですよね。
以上、反対意見にムカつく現象についての考察でした!