孫悟空に学ぶ努力論。努力する天才は努力していないという事実が判明
2016/11/07
努力至上主義の国である日本に我らは住んでいるわけですが、努力が絶対に実るなんてことはありません。
しかし成功者は必ずと言っていいほど『努力』をしています。
一万時間の法則で言うと、ちょうど一万時間努力した二人のAとBという人間がいるとします。
しかしAは成功し、Bは鳴かず飛ばずなんてこともありますよね。
違いは何でしょうか?
引き寄せの法則や、個人の性格や人間関係など考えられることはたくさんありますが、彼らの違いは別にあるとも考えられます。
それは成功したAは『努力』していないことです。
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真の成功者は『努力』しない
逆じゃないのか?
と思いましたかね。
いえ、合ってます。
成功者が努力していないのです。
そもそも努力とは何のことを言うのでしょうか?
「もっと努力しろ」
だとか
「努力が足りない」
だとか
言っている本人は努力という言葉の意味をわかって使っているのでしょうか?
いや、ちゃんとわかっているのでしょう。
ただ、努力の意味が真の成功者と呼ばれる人たちとは乖離しているのだと思います。
努力すること自体が正しいと思っているような人は、努力の意味を
『つらく厳しく苦しいことを嫌々でも続けていくこと』
だと思っているようです。
それに耐え続けやっとの思いで目標を達成することを含めて『努力』と感じているのです。
でもそれで人生成功しても、続きますかね?
つらいことをして積み上げてきたものは、またつらいことをして維持しなければなりません。
要領のいい人ならば、彼らの言う努力の先には楽な道が待っているのかもしれませんが、根性論で考えるような人はまた『(彼らの言う)努力』が待ち構えているのです。
そんな人生は楽しいですか?
孫悟空の学ぶ『努力』
少年ジャンプの三原則に『友情』『努力』『勝利』と言うものがあります。
熱い展開が売りのジャンプならではのキャッチコピーだと思います。
そんなジャンプ漫画の金字塔にドラゴンボールがあります。
お馴染みですね。
現在はドラゴンボール超として破壊神だとか悟空ブラックだとかの新作ストーリーが楽しめます。
ドラゴンボールの主人公のお馴染み孫悟空は努力の天才と呼ばれています。
そして同じサイヤ人である戦闘の天才ベジータと互角以上の戦闘力を誇っています。
最初サイヤ人襲来編で地球にやってきたベジータに悟空は迎え撃ったわけですが、そのときは仲間の力を借りてやっとこさで倒せたくらいに戦力差がありました。
しかし今や、常にそのベジータ以上の強さです。
ベジータだって悟空に負けじと努力はしているんです。
それなのにいつだって悟空に一歩先を行かれてしまう。
それは上で説明した通り、悟空は努力はしていないからなんです。
ベジータは強くなるために嫌々不機嫌そうに努力をします。
一方、悟空は強くなるために喜々上機嫌に楽しんで努力します。
ベジータの言う努力と悟空の努力の努力は解釈が全く異なり、悟空の『努力』はベジータの『努力』とはかけ離れているのです。
悟空の『努力』は、ベジータにとって『努力』していないんですよ。
もっと簡潔に言うならば、
ベジータの努力が仕事だとすれば、
悟空の努力は趣味・遊びです。
遊んでるんですよ(笑)
楽しんでいる人間には敵いません。
「落ちこぼれだって必死で努力すりゃエリートを超えることがあるかもよ」
これは悟空の言葉ですが、必死で努力したんじゃなく必死で遊んだわけですね。
悟空恐るべしです。
ちなみに作者の鳥山明先生曰く、悟空に友情はないそうです……。
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根性論の努力をやめる
悟空とベジータを例に出すとやっぱり分かりやすいですよね。
どちらも戦闘民族のサイヤ人で戦闘を好むのですが、
ベジータは戦いだけが好き
で
悟空は戦いも修行(努力)も好き
ってことなんですよね。
つまり、努力をやめて楽しめってことなんですよ。
いつも悟空は言いますよね。
「オラ、わくわくすっぞ」
ってね。
わくわくしましょう。
悪い結果にはならないはずですから。