HSPの認知度が高まってきた件。繊細な人間が受け入れられる社会になるといいな
世の中の人間は二つに分けられると思っています。
それはHSPか非HSPかです。
まだまだ馴染みのない人もいると思うので詳細を書いていきます。
HSPって知ってる?敏感で繊細過ぎる人
HSPとは敏感で繊細過ぎる人のことを言います。
『刺激に敏感である』という特性のほかに、『疲れやすい』『自己肯定感が低い』『芸術に感動しやすい』というものもあります。
傷つきやすいがために社会に出ると鬱にもなりやすい特徴なんですよね。
全人類の割合としては約2割ほどであり、少数派なんです。
私もHSPの端くれなわけですが、HSPの特性を持った人ってやっぱレアだよなぁって思っていたりします。
8割は非HSPなので当たり前なわけですが。
よく発達障害とかと勘違いする人もいるかと思いますが、HSPはただの人間としての気質であり精神的な病気とかそういうのではないんですよね。
(精神病だとしたら約2割が病んでいることになる……)
逆に非HSPとはHSPじゃない人なので説明は不要ですよね。つまるところ普通の感覚の人です。
そんなHSPという言葉自体が世間一般にも広まりつつあるように思えてきました。
世間一般にも認知度が高まりつつあるHSP
そんな辛酸なめてきたHSPですが、最近になってネットを中心にその認知度が高まっているように思います。
まだまだテレビなどで紹介されることもないために、現実世界でその言葉を聞くことはほぼないですが、それでも着実に認知度は上がっていると感じます。
HSPという概念の認知度が上がって何が良いかと言えば、HSPが生きやすくなるということです。
テレビが取り上げてくれたりすればネットをしない人にもリーチし、非HSPの人たちは「自分らとは感覚が違うのか。ちょっとは配慮してみるか」となり、HSPの人は「この悩みは自分だけのものじゃなかった」と知ることができます。
もっともっと認知度が高まればより良い方向に進めるのではないかと期待しています。
今までは非HSPが認められ、HSPが認められづらい世界だった
HSPはその特性から現代社会では認められづらいです。
強く鈍感でであることが良しとされる現代社会では、儚く脆いHSPの人間は阻害されてきたように思います。
そんな相手を傷つけてでもいいから勝ち残ることが正義だった社会はもうすぐ終わるのかもしれません。
これからの人間はもっと精神的になるべきだと個人的に思っているのですが、そんな時代の先を走るべきなのがHSPなんじゃないかなぁと感じます。
ま、とりあえずみんなが分かり合って許し合って愛し合える社会になればいいなぁと。
そんな社会ではHSPが認められるような土壌が出来上がっているのかもしれません。
少数派だからといってデカい顔はしたくない
よく少数派に分類される人は不当に差別されているとか異議申し立てして、多数派を叩いたりすることがありますが、HSPは少数派だからといってそうなってほしくはありません。
ただそういう人もいるんだと知ってもらいたいだけなんですよね。
少数派だからって権利を主張したりせずに謙虚に生きていきたいものです。
終わりに
HSPの認知度が高まってきたことは、今まではただ『心が弱い人』とくくられてきた人の助けになるのではないかと思います。
概念が認知されれば『HSP』というただの一言で相手に自分のことを伝えることができるので人間関係構築にも役立ちます。
世間への広まり方がネガティブな概念も昨今は多いですが、HSPはもっとポジティブに広がっていけばいいと心から願っています。